写真
学校近辺の写真をあげたい。東京では見ることのできない景色はもちろんのこと、不思議なものもある。でも、もしも学校がバレたりしたらやなので、しばらくは、あげることはしない。
話は変わる。
友達同士で、取った写真などをすぐインスタやツイッターなどのSNSにあげる人がいる。あげること自体は、自由だ。でも、写っている人にアップして良いかの確認も取らずにあげる人がいる。僕には、その感覚はわからない。勝手に、自分の写真をネット上にあげられるのは、不快だ。何が不快か?それは勝手にあげられることだ。
「気にしすぎだよ」「誰も見ないよ」という人がいるかもしれない。でも、それなら、そもそもSNSにアップするなよ。アップする意味はなんなんだよ。自己満足だとすれば、そもそも自己満足のために、SNSに人の写真を勝手にアップするなよ。
僕は、あげられること自体を毛嫌いしているわけではない。SNSを否定したいわけでもない。何度もいうが、確認を取って欲しいだけ。
しかし、時代の流れはそうではないらしい。僕の感覚はどうもずれているらしい。時代の波には逆らえない。
僕の思いつくとりあえずの解決策は、二つある。
一つ目は、その波に自らも乗っかること。SNSを始め友達撮った写真をあげたりしていけば良い。何も考えずに、周りの大多数がやっていることをすれば良い。
二つ目は、できるだけ写真に写らないようにする。「そういう人」と「そういうつながり」を持たないこと。信用できる人だけと、写真を撮っていく。
あれ。書いていてどちらも解決になっていない?
そもそも、僕が、SNSにそこまで気を張ってしまうのは、SNSを知らないからかもしれない。そこで、一度ミーハーになってみる。SNSを始めてみよう。嫌になったら、すぐやめればいい。事実、友達には、lineが嫌になってやめた人もいる。
そこまで、社会でSNSが流行るには何か魅力があるはずだろう。今のとこ思いつくのは、情報収集?ラジオでも「番組ツイッターを確認して」みたいなことを言っている。