wafuupizzaのブログ

某地方の農業系大学に入学した、東京のシティボーイが書いてます。

2020年9月26日「今日の話」

コロナウイルス。世間を席巻してから随分経っている。最近飽きてきた。
今でも当然こわい。


HIPHOP hiphop VIDEO/ DARTHREIDER ダースレイダーかっこいい



持病がない若者は、死ぬことはないと言う噂だが、タバコをやめたあと(タバコを吸ったことくらいは誰でもあるだろう)でも重症化しやすいらしかったり、若者でも後遺症が出たりするらしい。

死亡率も当然大事だが、死亡率だけが恐れる理由にはならない。



最近会った人が、「コロナは、インフルみたいなものさ」と言っている人がいた。

「ナニを言っているんだ」

ビビリな俺はそう思う

致死率だけを見ていてもしょうがない。感染率も見なきゃいけないし、後遺症も見なきゃいけない。

死ななきゃいいわけじゃない。

「死ぬこと以外はかすり傷」なんて言葉は、糞食らえだ。そんなわけないだろう。

よく分かってないものに舐めてかかるなんて馬鹿のすることだろう?
なぜなら、わからないものは、「怖かった」り、「安心」だったりするのは、自分の気持ち次第だ。
俺は、コロナを恐れている反面、注意深く普通に生活を送ろうと意識している。それに僕は、集団生活をしているから、他の人間の意識によって僕の生活は左右される
怖い。でも今しかない生活をやりたいことをやって送りたい。どうすればいいのかわからない。

学校の先生が言っていた。僕の住んでいる地方都市では、コロナにかかったことによって、地域社会から追い出されて引越しをしなければいけなくなった人が何人もいると。

周りへの迷惑を気にしてしまう一方注意深く生活を送ってかかってしまうなら仕方がないと思う。
仲間が、コロナにかかっても責める気はないが、自分は責められてしまうのではないかと言う恐れ。
自分が戦う覚悟がない。だからこそ、他人へは寛容になろうと努力する。

学校の行事は、次々に中止になる。この地方都市でさえ。先生と僕ら生徒のコロナに対する危機感は、決して高いと言えないだろう。それでも中止になるんだ。
何で?

最近この本を読み始めた。
自由論――自然と人間のゆらぎの中で (岩波人文書セレクション)

この本によると、現代社会の「自由」は、社会の秩序から外れたものには与えられない。
その通りだと思った。これを読んでいろんなものを見て考えた。
僕がいる日本社会では、秩序から外れたものには自由は与えられていない。
生活保護が最たる例だと思う。「水際作戦」なんて言葉で、生活保護を受けさせようとしない市がある。生活保護を受けている人を、非難する。
生きる自由を奪おうとする社会。「働かざる者食うべからず」これは、いまだに日本社会で大手を振っている「秩序」だろう。働けない人は食えない。この秩序からあぶれた人たちから、生きる自由を奪おうとする。「自由」ってそう言うもんじゃないでしょ、と思う。秩序に従うことを引き換えにえる「自由」というものは「自由」とは言えないだろう。