wafuupizzaのブログ

某地方の農業系大学に入学した、東京のシティボーイが書いてます。

奈良 (3日目)

 この日は、奈良へ向かった。お目当ては、奈良の大仏だ。

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    夜、大阪駅から夜行バスに乗るので、大阪駅のコインロッカーに荷物を預けた。

 大阪駅から大阪環状線に乗る。大和路線に乗りいれているようで、乗り換えなはない。一時間ほどで奈良駅についた。この日は、朝ゆっくりしたので、11時になっていた。

 奈良駅前からまっすぐ伸びた道を行き、途中道を一回曲がると奈良の大仏についた。道中からすでに観光客だけでなく鹿もたくさんいた。600円ぐらいを払い大仏を、見学する。見物料もバカにならない。当然のように、修学旅行で来たであろう小学生や中学生の集団、アジア系の観光客で中はあふれていた。

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  大仏は、まぢかでみると立派だが、周りには、お土産や、お守りを売っているお店があり、感動を薄めてしまう。小学校のとき一度来たことがあったがその時のような感動は、得られなかった。

 

 

  授業で習ったのだが、奈良の大仏は当時自然災害に苦しんでいた国民を助けるために、当時の天皇聖武天皇が建造することを決めた。当時は、信仰が今よりも浸透していた時代であり精神的救済の一面もあっただろう。

  今で言う、公共事業である。さらに具体的に表現すれば、2020年に開催される、東京オリンピックのようなものと考えられる。国民を一つの目標へと扇動し、大規模な公共事業へと導く。たしかに、一時的に豊かになるだろう。しかし、本当に苦しんでいる人は、救われるのだろうか?苦しい人に直接お金を使うべきではないだろうか?また、その過程で、彼らのことを忘れ、ないがしろににしてしまうかもしれない。

  聖武天皇に協力を求められた行基は、弟子たちに、協力をすべきか、意見を求めたらしい。すると、協力すべきと言う意見とそんな余裕があるのであれば、苦しんでいる人を直接助けるべきだと言う意見で真っ二つに分かれそうだ。彼は、結局は、協力する。当時、大仏を建造することが最善の選択だったかは怪しい。