wafuupizzaのブログ

某地方の農業系大学に入学した、東京のシティボーイが書いてます。

The Children Act 「未成年」

 

 

 

 僕は、一気に読破したくなるような本を探していた。そんな時に、学校の図書館で見つけた。作者のイアンマキューアンのことは知らなかったが、未成年という題名に食指が動かされた。僕も、未成年の後半の年齢だからだ。

 

 



  この小説はイギリスが舞台である。主人公は、夫婦関係に悩む、60歳を迎えようとしている女性の裁判官だ。題名の通り未成年の、しかし、聡明で思慮深い、あと数ヶ月で18歳になる少年が出てくる。彼は、自らの信仰により白血病治療の一環である輸血を拒否した。未成年である彼の治療は裁判所で彼女によって審判されることになる。信仰と治療、また少年の持つ不安定さ。様々な要素がある小説だ。

 

  僕は、今、彼と同じぐらいの年代だ。だから、彼が命をかけるほど信じることができるものに出会ったり、その信じていたものに突然目が覚めたかのように冷め、新しいに何かを見つけたりしようとする気持ちは、少なからず想像することも、理解することもできる。

 

 とは言え、自分がそういう経験があるわけではない。

 

 ただ、今日、唐突に、「命をかけて何かを主張している人の声に、耳を傾ける」ことについて、考える機会があった。

 

 数IIIの授業中に、急に先生が、沖縄出身の青年のハンガーストライキについてどう思うか聞き始めた。ぼくはこのことは全く知らなかったのだが、今、辺野古の海を埋め立てている政府の暴挙については知っている。この青年は、辺野古の米軍基地移設の県民投票を行わないとした五つの自治体に対して、実施を迫るために、ハンガーストライキを行った。5日ばかり続けたところでー数百時間ということだったードクターストップがかかった。ネット上では、彼を応援する声もあったが、冷笑する人も多くいたそうだ。先生は、そういう冷笑する類の人たちは、「感情の劣化」をしているのではないか、そのことについてどう思うか、と、僕らに問うた。

 

 僕は、命をかけて何かを主張している人の声に、耳を傾けるべきだと思った。それは、この物語を読んでいたこととあながち関係がないわけではない。

 

 物語では、主人公である女性の裁判官は、少年に輸血を許可する判決を下した。その結果、彼は、信仰を失うが生き延びることができた。信仰を失った少年は、主人公に対して、直接話をしようとしたり、手紙を何度も出したりする。しかし、主人公は手紙の返信を出さず、職場まで追いかけてきた少年を帰らせたりとしていた。その中で、少年は、病を再発する。そして、彼は、一度は離れた、信仰にもどり、また輸血を拒否し、亡くなってしまう。その連絡を受け、主人公は、手紙の詩を読み返し、彼の求めていたもの、彼の声に耳を傾けようとする。その結果、主人公は、裁判所で、判決文を読み終えたら、その件は終わりだという長年の考えの過ちに気づくのである。

 

 彼女は、本当の意味で、命をかけた彼の声を聞いていなかったのだ。